Heat  -4-


二人はその後、何度も淫らな逢瀬を重ねた。

明け方も近い深夜。
そこには、クールダウンしているFDとハチロク、そして、密やかに熱を持て余す啓介と拓海がいた。
誰もいない駐車場の片隅やどちらかの愛機の中の密閉された狭い空間。弱々しい星や月の光すらも避けて、夜の闇に隠れるように、持て余した熱を吐き出す。

「……んっ」

空気を振るわせて低く響く2台のアイドリングの音。
それに紛れて、荒い呼吸と時折漏れる声、もどかしそうに聞こえる衣擦れの音、そして淫らな水音。
峠を攻めながら2台のエギゾーストとラインが重なり合うように、拓海と啓介の熱も絡み合って昂ぶって、お互いの愛撫を求めて止まない。

二人は、体内にくすぶった熱を放出する術を――他に知らなかった。




春からプロジェクトが始動して、走る舞台もプラクティスの赤城から、見知らぬ峠でのバトルになった。
シーンは同じく夜の峠だったけれど、もたらす物の大きさが今までとはまるで違う。バトルの後に残ったのはたくさんの経験と勝利による高揚感と自信、そしてプラクティスとは比べ物にならない熱。
バトルする相手が手強くなればなるほど、体内の血液の温度は上昇し、うだるような熱が体の奥に篭る。



季節はやがて夏になろうとしていた。
頬を撫でる風は生暖かく、誰か他の人間に頬を撫でられているような錯覚を覚え、夜になってもじっとりと湿った空気が肌に纏わり付き、体温は下がることを知らない。

(俺の血液……本当に沸騰するかも……)

先にバトルを終えた拓海は、スタート地点でフラッグが振られるのを待つ啓介を遠巻きに見ていた。
ステアリングにその大きな手を沿え、じっと真正面を見据えている。夜目が利く拓海には、その長い睫が獲物に狙いを定めるようにゆっくりと瞬きする様や、呼吸のたびに僅かに上下する肩の動きまで見える。
ステアリングを握る指に、ほんの少し力が入って、ピクリと動くのが見えた。
唇が乾いたのだろうか、赤い舌先でぺろりと舌なめずりをしている。

拓海は、あの指と唇を待っている。

こんなこと――常識では考えればおかしいと頭では思うけれど、すっかり身体が覚えてしまっていた。
あの指や舌が器用に絡み付いて適度に圧力を加え、拓海の熱を解放してくれる。

拓海は息を殺してそれを待っていた。

フラッグが振られて、暗闇を切り裂くスキール音とエンジンが上げる咆哮が響く。
スタートする一瞬、啓介と視線が絡まり、そして、その瞳の奥にも小さな炎が見えたような気がした。
暗闇の中、鮮やかな黄色い車体はバックファイヤを上げながら、身を捩るようにコーナーの向こうへ姿を消した。



ヒルクライムのバトルも、啓介の圧倒的勝利で幕を閉じた。
FDから降り立った啓介を、ケンタさんを始めとするレッドサンズのメンバーや、追っかけだろうか華やかな女の子が数人、取り囲む。
みんなの中心で、はにかむように笑ったりオーバーなリアクションでふざけるように何かを話したりしているのを、拓海は少し離れたところから見ていた。
そしてまた、スタートの時と同じように、一瞬掠めるように啓介の視線が拓海の視線と交わる。


ほんな僅かの視線の交錯でさえ、上がる体温、感じる枯渇感、頭をもたげ始める欲望。
あんなに爽やかに笑う顔の下には、同じような欲望が宿っているのだろうかと思うこともしばしばだった。

拓海は無意識に冷たい缶コーヒーを流し込んで、いつものように少しでも熱さを和らげようとしていた。
バトルは難なく勝利を収め、タイムアタックも無事に終了し、プロジェクトはこの峠に新しいコースレコードを樹立した。しばらくは消えないであろうコースレコードと、アスファルトの上にタイヤの跡を残して、プロジェクトは撤収の準備にかかる。

そこへ、涼介からお呼びが掛かった。

「すまないんだが、ハチロクをこのまま松本の工場へ入れてもいいか?ちょっと手を入れたいところがあるんだ…。 お前は誰かに家まで送らせるから、心配するな」

「……はい。別に構いません」

頬が熱くなり真っ直ぐに見ていられなくて、拓海は俯いて返事をした。
涼介の顔を間近でみると、どうしてか緊張してしまう。
前髪の間から拓海を見下ろす切れ長の眼や、形の良い唇が、弟のあの人に、意外と良く似ていたからかもしれない。

「……俺が送ってってやるよ」

すぐ後ろから聞こえた声に、拓海の鼓動は跳ねるように早くなった。
振り向かなくても分かる。すぐ後ろにいる咥えタバコの啓介が笑顔が、見て取るように分かった。
一拍置いてゆっくりと振り返った。普通の顔を装って、ニコリと笑う。

「すみません。ありがとうございます」

黒いTシャツの上に、シルバーのクロスのペンダントが揺れていた。青白い外灯の明かりを反射して、鈍く光っている。啓介は、癖なのか、片手で金色の髪の毛をかきあげた。Tシャツの袖から持ち上がった上腕のしなやかな筋肉や筋が動くのが見える。
そして、啓介の口に咥えられたタバコがジジッ…と音を立ててオレンジ色に光るのを、拓海はどぎまぎしながら見上げていた。

「遠慮すんなって」

拓海は大きな手でFDの助手席に押し込まれた。
FDの車内は狭い。走るためだけに作られたようなこの車に、無駄な空間はあまりなく、後部座席だってオマケで付いているようなもので、とても居心地良く座れそうに無かった。運転席はまるでコックピットであり、操縦者をすっぽりと取り囲んで、前だけを向き、操縦に専念させるように設計されているようだ。
啓介は緩くアクセルを踏み込んで、咥えタバコの脇から薄紫色の煙を細く吐き出すと、ウィンドウを半分開けて、涼介に向かって片手を上げる。

「わりぃ……先に出るぜ……」

先に帰るというジェスチャーと共に、もうほとんどバトルの後の熱気が感じられなくなった夜の峠を後にした。




啓介がFDのステアを切ったのは、拓海の自宅ではなく、誰も居ない駐車場でもなく、ましてやラブホテルでもなかった。
高速道路を一般車の間を縫って滑らかに走り、辿り着いた先は、高崎にある豪邸、高橋家のガレージだったのである。
そこまで辿り着く間、二人はあまりしゃべらなかった。
しゃべらなくても分かると思っていたし、どこへ連れて行かれようと関係なかった。

この熱さから逃れられるなら。

啓介は少し苛立たしげに立て続けにタバコに火を着けていた。
拓海はそんな啓介の切なそうな横顔と、次々と追い越されてゆく他の車や、後ろへ消えて行く高速道路の水銀灯の明かりをぼんやりと見ていた。


ガレージに手馴れた手付きで駐車して、何も言わずに啓介は車を降りた。その後を追って、エントランスをくぐり、真っ暗な広い家へ入る。拓海のスニーカーが玄関の大理石に擦れて、キュキュッと音を立てた。

「……俺の部屋に、来る?」

背中越し、首だけ振り向いて、啓介が言った。
低く、少し戸惑ったような声で。

拓海は黙って、啓介の後を追って、真っ暗な階段を昇った。
初めて入った啓介の部屋は、締め切られていたせいで、湿った熱い空気が充満していた。床に転がる車のパーツや雑誌らしきものを適当に足で除けながら、この部屋の主は慣れた足つきで歩く。

「…うわっ!」

拓海は、ステアリングらしきものに躓いて、前のめりによろけてしまった。すぐ前にあった啓介の背中に、不可抗力でしがみ付いてしまう。予期せぬ接触と、触れた啓介の体温に、一気に沸点を通過しそうだった。

「すみません……」

しかし、啓介は飄々と答える。

「色んなモンが転がってっから、気ぃつけろよ……」

啓介のTシャツから汗とタバコの混ざった匂いと、そのすぐ下にある肌から熱さが伝わってくる。
それは自分と同じ――切ないほどの熱、だった。
拓海は啓介のTシャツごしにその熱さを感じた手を、そっと離した。



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