夜の果て -1-



以下の条件に1つでも当てはまる方は、この先へは進まないでください。
※拓海が高橋兄弟以外に抱かれるのはイヤ
※拓海の誘い受けはキライ
※エンディングが甘々のハッピーエンドでないと許せない




運転席からちらりと隣の席に視線を走らせれば、まだあどけないと言った形容詞がぴったりの幼い寝顔が眼に入る。

車窓から差し込むオレンジの光が一定の間隔で強弱の点滅を繰り返しながら、チカチカとその顔に影を落としていた。
トンネルのコンクリート壁に反射して心地よく響く、一定の音程を奏でるFDの穏やかなエキゾースト。
それが子守唄にでも聞こえているのだろうか、閉じられたまぶたは少し微笑んでいるかのようにも見える。
合わさった睫毛は意外と長くて、半開きの唇は艶やかで、啓介はステアを握る手はそのままに、しばし見とれてしまいそうになった。

コイツ…フルバケでよくこんなにぐっすり眠れるなぁ…

助手席側のリクライニングもできないバケットシートで、 規則的な寝息を立てて気持ち良さそうにぐっすりと眠りについているのは、啓介のライバル。
プロジェクトのダウンヒルのドライバーであり、年下でまだ少年の面影の残る男――藤原拓海。

そして彼はまた、啓介の実の兄、涼介の恋人でもあった。

その事実はまだ、啓介以外の人間は知らないであろう。
啓介も本人達から聞いたわけではなかったが、何度も自分の家で親しげに寄り添う姿を目にして気が付いたのだった。
拓海が涼介を見上げる瞳は熱に浮かされたようで、涼介が拓海を見下ろす瞳は優しく熱のこもった瞳だった。
おそらく、想いあって求め合って、同性という垣根を越えてまで寄り添っているのだろう。

ひっそりと寄り添った2人の顔があまりにも幸せそうだったので、啓介も黙って事の成り行きを見守っていた。

小さいころから医者の家の長男という窮屈な型にはめられて、生まれて初めてのめりこんだ車まで諦めなければならなかった兄。
それが、今はじめて心から欲しいと思うものを手に入れた。
同性ではあるが愛しい恋人に寄り添う涼介の顔は、血を分けた弟の啓介には、そんな風に見えた。


啓介の手が操るFDは、つい数時間前の獰猛なまでの激しい走りとは打って変わって、穏やかに走っていた。
先刻までの姿――前を走る車に猛然と襲い掛かる姿は、まるで金属でできた獣のようだった。
少しでも早く、少しでも前へ、啓介とFDはいつもそうやって走り、勝利をもぎ取ってきた。


夜中と夜明けの中間の宵闇。
FDは他に走る車もまばらな高速道路を、法定速度より幾分早い速度で走る。
時折路面の凹凸を拾うタイヤの音くらいしかしない静かな車内には、低いラジオの音と微かな寝息。
何を思って眠るのか、薄っすら開いた拓海の唇からはくーくーと遊び疲れた子供のような穏やかな呼吸音がしていた。

「無防備な顔、しちゃって……」

今夜のバトルの後、ハチロクはメンテナンスのためにそのまま松本の工場へ運ばれた。
そのため、啓介が拓海を送って行く羽目になった。半ば、涼介の命令で。
涼介は、拓海を本当に大切にしていた。
意外と独占欲が強いのか、あまり拓海を自分のFC以外には乗せたがらなかった。
そこで、何かというと啓介が使われる。今夜は涼介はFCではなく、Dのバンで来ていたのだ。

今夜もそんないきさつで、啓介の隣の助手席で拓海は眠っていた。

う…ん…と寝言とも付かない呻き声を上げて、拓海は少し身じろぎした。
疲れているとは言っても、さずがにフルバケットのシートでは寝心地が悪いのだろう。
長いトンネルを走っていたFDの車内はオレンジ色に染め上がっていた。
コロリと顔の向きを変えた拍子に、拓海のやわらかい茶色の前髪が跳ね上がって額が垣間見える。
ハチロクのステアを握っているときの鷹のような鋭い眼光を放つ瞳。
意志の強さもその奥に秘めた猛禽類のような瞳は、今は穏やかに閉じられたままだ。

どんな声でアニキを呼ぶんだろうか?
媚びるような甘い声か、それとも誘うような掠れた声か。
どんな風にアニキの下で乱れるのだろうか?
もっとと強請るように絡み付いて求めるのか、それとも我を忘れたように汗まみれで求めるのか。

時折、隣の涼介の部屋から漏れ聞こえる声とも音とも付かない微かなざわめきは、啓介の想像を煽るばかりだった。

FDの前方の車がハザードを付けてスローダウンした。
みるみる車間距離がつまり、啓介もシフトダウンして速度を落とす。
トンネルの中に、シフトダウンしたせいで回転数が上がり響きを増したロータリーサウンドが響いた。
啓介がハザードのボタンに手を伸ばした時、助手席の拓海の瞳がゆっくりと開いた。
前方で工事による渋滞が発生しているらしく、FDも他の車も速度を落としノロノロ運転になっていた。

「……すみません…すっかり眠ってしまいました…。」

速度が落ちたのを体で感じたのか、拓海はむくりと起き上がって体制を立て直す。
小ぶりな頭をふるふると振って、乱れた前髪を直した。

「…ん?…まだ、着いてねぇよ。前の方で工事かなんかやってて、渋滞してるみたいだな…。」
啓介はゆっくりと走るFDのウィンドウを少し下げた。
わずかな隙間からトンネルの中の淀んだ空気が流れ込み、拓海の髪の毛を再び乱した。
啓介はさっきまでの少し淫らな想像をごまかすように、タバコをくわえ火をつける。

「…なぁ、今夜はウチ、来んの?」

窓の外に向かって煙を吐きながら啓介は言う。あくまでさりげない風を装って。

「……いえ。今夜は涼介さん、大学に戻るって言っていたので…」

拓海は窓の外を見ながら答えた。
窓の外にはオレンジ色に照らされたトンネルの壁しかないのに、拓海はそれを見ていた。
拓海も啓介が自分達の関係を知っていると、薄々感じていた。

「そっか……」

啓介は少し残念なような、ほっとしたような複雑な気持ちになった。

渋滞は工事現場を過ぎて解消し、FDは再びシフトアップして速度を上げる。
目の前の追い越し車線から他の車がはけると、一気に加速する。
速度が上がっていくにつれて、啓介のFDは地面に張り付くように安定して加速する。
拓海はまるで地を這うような加速感を、ナビシートに埋めた体から感じていた。

「…すごいですね…この車。まるで地べたに張り付いたみたいに加速する… 俺のボロ車とは大違いですよ…」

助手席の拓海は、まだ眠そうな顔をしていた。瞬きをする速度が少し遅い気がする。

「…そのボロ車で、この車とバトルして勝ったのはどこのどいつだよ?」

「でもあれは秋名だったからで…もし、他の峠でバトルしていたら負けていたかもしれませんよ?」

拓海は肩をすくめてそう言った。
もうこのあたりの走り屋界隈ではすっかり有名になったプロジェクトDのドライバーを務めている割に、 拓海には驕ったところが少しもなかった。
いつもはぽやーっとしているけれど、そんなところが憎めない。おまけに、プロジェクトの中では最年少。
そんなこともあって、拓海は涼介をはじめみんなから可愛がられていた。

「…ったく…心にもねぇこと言いやがって…。」

啓介はこれ見よがしにフンと鼻を鳴らした。啓介もごちては見るものの、むろん怒ってはいなかった。
それどころか、涼介でさえ一目置いているライバルから、そんな風に言われて嬉しくないはずがない。

啓介は咥えていたタバコをアッシュトレイに押し付けてもみ消し、ウィンドウを閉める。
トンネルの中にこもって、うるさく鳴り響いていたエキゾーストが締め出されたように小さくなった。

もう少し加速して、シフトアップしようとシフトノブに手を伸ばしたとき、 視界の端で助手席の拓海が口に手を当ててあくびをかみ殺しているのが見えた。

「…もう少し寝ててもいいぞ?着いたら起こしてやっから。」

拓海の目の端には、こらえたあくびのせいで涙が一粒、今にも零れ落ちようとしていた。
それを見られたのだと気づいて、拓海はあわてて手で涙をぬぐっていた。
ごしごしと目を擦る動作が、眠たいのをこらえている子供のようにも見える。

「…だって…啓介さんだって、バトルの後で疲れてるのに…」

申し訳無さそうな顔で拓海が言う。
ごしごしと擦ったせいで、目元がほんのり赤くなってしまっていた。

「…ばーか!今夜は楽勝だったから、そんなに疲れてねぇよ。…だから、眠かったら遠慮なく寝ていいぞ。 それとも何か?俺の運転は怖いか?」

「全然、そんなことありませんよ!」

そんなことをぽつりぽつり離しているうちに、だんだん会話の間の沈黙が長くなっていった。
そして、とうとう拓海からの返事が返ってこなくなった。

啓介は助手席で再び寝息を立て始めた拓海を、ちらちらと横目で見ていた。

コイツ…いつもはアニキの抱き枕にでもなってんだろうか…?

自分や涼介よりもやや華奢であるとはいえ、身長だって決して低い方ではない。
腕や足だって、女のそれよりは全然太くて逞しい。

しかし…啓介は、以前一緒にバンの中で着替えをしたときの事を思い出した。
突然の雨に濡らされて、バンに積んであった予備の服に着替えた時だ。
男同士なんだし、別に何を恥ずかしがる必要もなく、ごく普通に着替えをした。

がばっとTシャツを脱いだ拓海の肌が、あまりにも滑らかで白くて…啓介は一瞬息を呑んだ。
そして、着替えるためにボタンを外したジーンズが少しずり下がって、 バンの室内灯にさらされた拓海の腰骨が浮き出たウエストがなんだか卑猥で、啓介は眼を逸らしてしまった。
見てはいけないもの――そんな気がした。

その頃にはすでに、拓海の体は涼介のものになっていたのかもしれない。
ちょうど涼介がどんなに忙しくても夜には自宅へ帰ってくるようになって、拓海の姿を自宅でよく見かけるようになった頃だ。


啓介はさらに速度を上げるために、アクセルを踏み込んだ。
FDはトンネルから抜け出して、車内に差し込んでいた色はオレンジから黒に変わった。
こもった様なエキゾーストは、開放されて夜の空に吸い込まれていく。
速度が上がると、高速道路の脇の水銀灯の白い光が線になって後に流れていった。

啓介は、これ以上おかしなことを考えないようにと、右足に力を込めてさらにアクセルを開けた。



結局、拓海は自宅に着くまで安らかに眠っていた。
窮屈なバケットシートで熟睡してしまった拓海を自宅の前で揺り起こして降ろし、 啓介は明かりの付いていない自宅へと帰ってきた。

今夜は涼介は自宅へは帰ってこないと言っていた。
明かりのついていない自宅は苦手だ、と啓介は思いながらドアを開け玄関へ入った。
暗いことがこの広すぎる家を余計に寂しい場所にさせる。
意外と寂しがり屋の啓介は誰もいない暗い家の中に向かって「ただいま〜」と言ってみた。 誰も答える人はいなかったが。

ふと見ると、新聞受けに夕刊と一緒に数点の郵便物が押し込められていた。
保険か何かのダイレクトメール、デパートのセールの招待状。 それらに混じって、差出人のない茶封筒が1つ混ざっていた。
やや大きくて厚みがあり、ちょうどビデオテープ位の大きさだった。

「何だ…コレ?」

あて先には「高橋啓介様」とマジックで書かれていた。 少なくとも女の文字ではない。
綺麗とはお世辞にもいえないような走り書きの文字で啓介の名前が書かれていた。

啓介はその茶封筒を手にとって、中身を確かめるように耳元でカサカサと振ってみたりしながら、 明かりの付いていないリビングを横目に、2階の自室を目指して真っ暗な階段を登っていった。


階段を登りながらびりびりと乱暴に開けたその封筒の中には、何も書かれていないビデオテープが1本、入っていた。


<<< 前へ  ★  次へ >>>