夜の果て -3-



画面を埋め尽くすモノトーンの砂嵐と、ノイズのようなにごった音。
ただのブランクのビデオテープのように何も映らない。

誰かのいたずらかな……?

啓介は、散らばった車の雑誌の山や飲み終えた空っぽのペットボトルを横へどけて空間を確保すると、
床にぺたりと座り、今朝起きたままで寝乱れたベッドに寄りかかってその画面を見ていた。

プロジェクトがバトルの勝利を重ねるに連れて、高橋家には色々な荷物が届くようになった。
ファンと思しき女性からのラブレターやプレゼント、そして走り屋と自負している輩からの挑戦状のようなビデオテープ。
送られてきたどのテープにも、プロジェクトDと同等のレベルの車はいなかったが、
涼介はまめまめしくそれらを再生していた。

拓海と同じく、まだ知られていない脅威があるかもしれないという理由で。
しかしその思惑はたいていの場合、肩透かしで終わる。

待てども何も映そうとしない灰色の画面を見ながら啓介はリモコンに手を伸ばした。
手にとってテレビの下にあるビデオデッキに向かって少し腕を伸ばした。
体は汗でベタベタする。早く熱いお湯を浴びたかった。
拓海の前ではやせ我慢をしていたが啓介もかなり疲れていて体が重く、動くのがもう面倒くさい。
階段を下りて1階のバスルームまで行こうかどうしようか、そんな事を考えながら立ち上がろうとした。

何だか狐につままれたような気分になって、停止のボタンを押そうと指先に力を込めたとき、
砂嵐とノイズはぴたりと収まり、映像が流れ始めた。

立ち上がりかけた膝を再び折って、床に腰を下ろした。

画面には期待していた映像は映らなかった。
闇夜を流れていくヘッドライトの軌跡や、大げさなスキール音、下品な排気音。
大してテクニックも無いくせに、車を滑らせてドリフトしたいためにサイドブレーキを引いているのは一目瞭然だったりする。

そんな映像が映るのだと思っていた啓介は、それとは明らかに違う映像に目を凝らした。

映し出されたのは、どこかホテルの一室といった部屋。
部屋の中央にはダブルサイズのベッドがあり、
アイボリーとブラウンを基調にした上品な色調のカバーリングできっちりとベッドメイクされていた。
大きな窓にはエンジ色のたくさんドレープのよった重厚なカーテンが掛かっている。
そのカーテンのせいで、外は見えない。
ベッドの枕元にはやはりアイボリーとブラウンの厚みのあるピローが4つ、5つ重なり合うように置かれている。
そのすぐ隣には、スチールでできた緩く曲線を描く背の高いランプがあり、すずらんの花のような形をした白いすりガラスのシェードを通して柔らかい光を放っていた。
部屋の照明は落とされていて、光を放つのはそのベッドサイドの照明だけ。

それらの柔らかく上品な雰囲気は、ラブホテルのような安っぽさや窮屈さはどこにも無く、 どうやらシティホテルかどこかの一室らしい。
しかもそれ程安い部屋ではないようだ。
セミスィートとまではいかないまでも、普通のダブルの部屋よりは幾分宿泊料金が高そうな部屋。
啓介にはそんな風に見えた。

啓介はその映し出された部屋の様子を用心深く観察し、自分の記憶の中に同じ映像が無いかを思い出そうとしていた。

茶封筒には「高橋啓介様」の文字しかなかった。ここの住所も書いていなければ、もちろん切手も貼られていない。
郵送されたのではなく、誰かがこの家のポストに直接投函したのだ。
涼介と啓介の留守を見計らって。

昔付き合った女のうち、恨みでも持っていた女が隠し撮りした映像をネタに自分をゆすろうとしているのだろうか?

プロジェクトが本格的に始動してからこの方、女とは付き合っていない。
車と女と、両方ともうまくこなせる自信が無かったから、特定の女とは付き合っていなかった。
体だけの付き合いをする女も、いなくは無かったがここ最近は誰とも会っていない。
女と肌を合わせるよりも、車のステアリングを握っている方が楽しかったし、
セックスするよりも、誰か上手いヤツとバトルしている方が興奮した。
それは、例えば―アイツ、藤原拓海。

啓介は丹念にその映像を観察し、自分の記憶をたどってみたが、その映像と同じ記憶にはついに思い当たらなかった。

と、その部屋に青いシャツにジーンズといういでたちの人間がフレームインして来た。
背はそれ程低くは無い。線が細い後姿。栗色の髪。
その後を追うように、3人の人間が映像に加わる。
背中しか映らないそれらの人間は、どうやら全員男らしかった。

あのブルーのチェックのシャツ……どこかで見たような…?

3人の後から入ってきた男達は、ブルーのシャツの男の腕や肩を掴んだ。
何をするかと思いきや、1人はそのブルーのシャツかのボタンを外し腕と肩を抜いて、シャツを脱がせている。
他の1人は、ブルーのシャツの男のジーンズに手を掛けて、
その前の部分、おそらく性器のある部分をまさぐっている様にも見える。
もう1人はブルーのシャツの下のTシャツをめくりあげて、そのわき腹や胸に手を這わせているみたいだった。
そうして、3人は彼の体を女の体にそうするのと同じように愛撫しながら、1枚1枚、服を脱がせていった。

ベッドの脇でついに裸にされ、男の割には細く白い背中を捩るようにしてカメラの方を振り向いたその横顔は、 火照って恥ずかしそうにはにかんでいる。

啓介は今にも停止のボタンを押そうとしていたテレビのリモコンを、冷たい床に落としてしまった。
ガタン、と大きな音がして啓介の心臓は拍動を止めるのかと思うほど大きく打ち始める。
喉が干上がったようにひゅうっと鳴った。
そして乾いた喉を少しでも潤そうとごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
自分の喉仏が上下に動くのが分かった。

今、画面の中央にいる人間の喉にもそれが付いている。れっきとした男だ。

画面の中央で全裸のまま、こくりと喉仏を微かに上下させて生唾を飲み込んだその横顔は、 つい先刻までFDの助手席で眠っていた横顔と全く同じだった。

啓介は眉をしかめて、つりあがった目を細めて、食い入るように画面を見ていた。


―藤原、拓海。


啓介はその映像に眼が釘付けになった。
こめかみの辺りがどくどくと脈打って、ぴりぴりと引きつる。
心臓から出た血液が沸騰したように熱くなって、頭に血が上っていくのが分かった。

プロジェクトの快進撃を面白くないと思っている人種もいる。
その中にはどこかの峠で絡んできたやつらのように、かなりガラの悪い連中だって存在する。
峠に出れば羨望や賞賛の目を向けられる事がほとんどだったが、そんなギャラリーの奥から睨みを効かせていたり、 すれ違いざまに文句を言われることも少なからずあった。
啓介にとってはそんな奴らは取るに足らない存在、虫けらみたいなものだったし、気にも留めていなかった。

啓介や拓海は、有名になりすぎていた。
年下で、まだ高校を卒業したての拓海は、さりげなく涼介と啓介に守られていた。
夜の峠で、どうでもいいトラブルに巻き込まれないように。

プロジェクトのリーダー、涼介は、いつも大体誰かと一緒にいることが多い。
加えて、身長も高く周りを威圧するような雰囲気も持ち合わせている。
ヒルクライムのドライバー、啓介はいかにも気性の荒そうな外見と涼介並みの長身、 昔の武勇伝がまことしやかに噂されていたので、面と向かって絡んでくるやつなんていないだろう。
だから一番心配なのは、ダウンヒルのドライバー、藤原拓海。
拓海は涼介や啓介に比べて、年齢も若く体つきも細い。
バトルの最中以外はぽけーっとしていて、どこか可愛らしい雰囲気すらある。
拓海の存在は、年長者からすれば面倒を見てやりたくなるような、構いたくなるような、兄弟で言えば末っ子のような存在だった。

3人のうち狙われるとしたら真っ先に思い浮かぶのは拓海の顔だった。
しかも、拓海は全開のバトルの後はその呆けっぷりがひどい。
バトルの間中、張り詰めていた糸がぷつりと切れるように、ハチロクから降りた後はしばらく使い物にならない。
簡単に拉致されそうだと、啓介ですら思ったこともある。
だから、いつもバトルの後は誰か彼か、少し離れたところからでも拓海から眼を逸らさないようにしていたのに…

いつの間にこんな事になっちまったんだ……!

啓介は明かりもついていない自分の部屋でテレビの前に座り、片膝を抱え込むように座っていた。
ギリ…と悔しさで下唇を噛んだ横顔を、テレビの明かりがチラチラと照らしていた。

クソ…っ!!
どうしてアイツなんだ…やりたきゃ、オレを襲えばよかったじゃねえか…
いつだ?いつの事なんだ?

拓海はずっと心と体に傷を抱えたまま、ハチロクを転がしていたのだろうか?
啓介は自分の手を、爪の後が残るほどきつく握り締めていた。

画面の中では、啓介の意思とは無関係に、映像は止まることなく流れていた。

そして、今やベッドに押し倒された全裸の拓海の上に、見知らぬ3人の男が圧し掛かろうとしていた。

ふわふわのベッドが拓海の体重のぶんだけ沈む。

全裸になった拓海の手足は細く長くて、筋肉の付いていない胸は薄べったくて、中性的な儚げな雰囲気がした。


<<< 前へ  ★  次へ >>>