夜の果て -6-



あのビデオテープが届いた夜から、数日が過ぎた。

最近啓介は真面目に大学に行っていた。
真面目に講義を聞いていたわけではなかったかもしれないが、とにかく出席だけはちゃんとしていた。涼介にうるさく言われていたからだ。大学くらいちゃんと行けと。

今夜もきっちり午後の講義まで出席して、その後大学の友人たちと少し遊んで、夕飯を済ませて自宅へと戻ってきた。

空の色は茜色をとっくに通り越して、沈んだ黒になった。夜空には氷の欠片のように冷たく小さな星が1つだけ輝いている。

啓介はあれから一度もあのテープを再生してはいなかった。
初めてアレを見て欲情し、自分で慰めた後、もう一度見た。それが最後。

見ないほうがいい。何となくそんな気がしていた。
誰にでも知られたくないことの一つや二つあるものだ。あれは拓海にとって知られたくない事の一つなのではないのだろうか?とくに、恋人である涼介には。
しかし、啓介の心の隅には違う感情も確かに存在していた。あれをまた再生して見てしまったら、拓海を、同性である拓海を性欲を駆り立てる対象にしてしまいそうだった。

さすがに、アニキの恋人をオカズにするのはマズイよな…。しかも、オレはアニキと違って女のほうがスキだし。

そんな事を考えながら、ガレージにFDを停めようとスローダウンしたとき、その車が眼に入った。

白いFCとその隣にハチロク。

邪魔しちゃマズイかな……?

啓介は複雑な気持ちになりながらも、とりあえすFDをガレージの隙間に停めた。FDから降り立ち、停めてあったハチロクのボンネットに触れてみる。まだ、暖かい。今しがた着いたばかりというくらい、それは暖かかった。FCのボンネットも同じ温度。

啓介は涼介と拓海が裸で抱き合って、同じ温度の肌を合わせている姿を想像してしまい、慌てて頭を振った。

…オレ…何考えてんだ…?今、ココに着いたばっかで、もうそんな事してるってことはねぇよな…

啓介は、ほとんど使われる事のなかった教科書やノートの束を助手席から拾い上げて、自宅の玄関へと歩いていった。

果たして涼介と拓海はリビングにいた。
2人の目の前には湯気の立つコーヒーカップが2つ並んでいて、2人が座ってる距離もまだそれ程近くない。テレビからニュース番組のアナウンサーの声が流れていて、それを見ながらぼそぼそとしゃべっている様子だった。
啓介は途中までそっと開けたドアの向こうで胸をなで下ろし、ためらわずにリビングのドアを開けた。

涼介が振り向いて「啓介か…今日は早かったな。」と言い、拓海も同じように振り向いて「お邪魔しています。」と頭を下げた。

その瞬間、啓介の脳裏に映像がフラッシュバックのようによみがえる。
柔らかな明かりに照らされて、乱れたベッドの上で自分の性器を、自分で焦らすように握り扱く、うつろな瞳の拓海。啓介の口の中に勝手に唾液が沸いてきて、啓介はそれを音を立てないように飲み込んだ。心臓が落ち着かないように鼓動を早くする。

「あ、あぁ……来てたのか。」

なるべく声色を変えないように、平静を保って啓介は言葉を放つ。にこりと笑って、片手を上げて拓海にいつものように挨拶をした。ドクンと血液が音を立てる。下半身に向かって流れていく暖かな血液の流れに、じわりと冷や汗が浮いた。

「お前の分もコーヒー、あるぞ?」

飲むか?というジェスチャーで涼介は自分のコーヒーカップを目元まで持ち上げた。それを見つめる拓海の横顔がいやに目に付く。

「うん…さっき、飲んできたからいらねぇ。メシも食ってきたし…。後は2人でごゆっくり……。あ、でも、あんまり激しいのは……ちょっと困るな。俺の部屋、隣だし。」

わざとからかうように言っている間も、啓介の下半身には血液が集まってきていた。今にもむくりと起き上がってしまいそうだ。

「…え?!…啓介さん!何言ってるんですか?!」

拓海は怒ったように顔を赤らめたが、冷やかされて頬が赤くなっているのは一目瞭然だ。
隣で涼介はフフン、と含み笑いをしただけで何も言わなかったが、その顔はまるで今自分の隣にいて照れている恋人を余裕ありげに見守る男の顔だった。
2人からは何かを共有した者が持つ独特の匂いのようなものが感じられた。共有しているのは時間や肌や、記憶やぬくもり。そして秘密。

「ごちそうさま。俺は、自分の部屋でおとなしくしてるからさ。疲れたから、シャワーを浴びたら早めに寝るよ。」

啓介は、自分で開けたドアを再び自分の手でパタンと閉めた。
閉めた瞬間、ペニスがジーンズの生地の下でどく、と脈打つのが分かった。やれやれ、と啓介は溜息をついて2階にある自分の部屋へ非難するべく、階段を登り始めた。
そして、自分の部屋のドアに手を掛けて開けると、暗い部屋のテーブルの中央に置かれたままになっていたビデオテープが目に入った。
啓介は散乱した色々な物たちをまたぎながらそこまで行き、テープを手に取ると、部屋の隅にぽいと投げた。自分の視界にそれが入らないように、拒絶しようとした。
あの日の二の舞にはなりたくなかった。吸い込まれそうで怖かった。画面に向かって、懇願するように求める拓海が怖かった。

早くシャワーを浴びて、ブランケットに包まって眠ってしまおうと思った。啓介は、抱えていた数冊の本を机の上の雑誌の山の頂上に重ねると、シャワーを浴びるために自分の部屋を後にした。

啓介は手早くシャワーを浴びて、冷蔵庫にあった冷たいビールを煽って、そそくさとベッドにもぐりこんだ。
お湯で温められた肌が冷たいリネンに触れて熱が奪われていく感触が心地よい。トランクスとTシャツしか身に着けていない体を布団の中で丸くして、肩肘を折った腕の上に頭を乗せる。布団を鼻先まで引きずり上げて、顔の半分くらいまで隠すようにして啓介は目を閉じた。
とくんとくんと自分の鼓動が聞こえる。穏やかで眠りを誘うリズム。
2人はまだ、階下のリビングにいるのだろうか?声は聞こえはしないものの、気配はする。しかし、どうやら隣の部屋にはいないらしい。
啓介はほっと溜息をついて、ごそごそと身じろぎをしてまどろみはじめ、やがて意識を手放した。



どれだけ眠ったのだろうか、夜半過ぎに啓介は目を覚ましてしまった。
寝る直前に飲んだビールのせいで薄っすらと寝汗をかき、それが冷えていささか寒い。しかも、部屋の窓がほんの少し開いていて、そこから吹き込んだ夜風がカーテンを揺らしているのに気がついた。啓介は部屋でタバコを吸う時、いつも窓を少し開ける。真冬でも真夏でもそれは変わらず、もう癖のようになってしまっていた。
それを閉め忘れて夜中に寒くなって起きてしまうことも珍しくなかった。

あ…、また窓、閉め忘れた…

啓介はベッドからむくりと身を起こした。ベッドのスプリングがぎしりと鈍い音を立てる。窓の隙間から吹き込んだ弱々しい風が、むき出しの啓介の腕をかすめて粟肌を立てた。うう…さむ…とぼやきながら啓介は自分の手で自分の腕をさすったりしていた。
窓のすぐ側まで来て、それを閉めようと腕を伸ばした。吹き込んだ風がカーテンを揺らして、舞い上がった布が啓介の鼻先で踊る。

そして、月の光のせいできんと冷えた夜風が吹き込む音と一緒に、密やかな睦言が啓介の耳に届いた。

隣の部屋から漏れ聞こえる、抑えたような悲鳴のようにも聞こえる声と音。

啓介の意識は、急に霧が晴れたように明瞭になった。
風が自分の髪を揺らす音、カーテンが擦れて立てるさらさらとした音、遠くを通り過ぎた車の音。

それに紛れることなく啓介の鼓膜を微かに揺さぶる、艶声。

「…ん……あ……」

間違いなく拓海の声だった。
さらに耳を澄ませると小さく物がぶつかるような音が混ざっていることに気が付いた。決してベッドのスプリングが軋むような音ではなく、それはまるで……机の上の文房具が揺れる音に良く似ていた。
ごくりと啓介は無意識に唾を呑む。その喉の音がやけに大きく感じられて、いやな汗が浮いた。
かたかたと聞こえるその音は、涼介の部屋に面する壁から聞こえてきていた。

啓介は足音を立てないように壁に近づき、そっと耳を押し当てた。壁に当てた頬に、微かな振動が伝わってくる。
その壁の向こうには、涼介がいつも向かっている大きな木製の机とそれに良く似合う椅子があったはず。たしか数日前に涼介の部屋へ用事があって入ったときもそのレイアウトは変わっていなかった。

「……う…や…だ…」

木が壁にぶつかるような音の合間に、拓海の声が混ざる。艶っぽくて滑らかな旋律のように、もつれ合う音の流れは止まらない。
啓介は引き込まれるようにそれを聞いていた。

もう、耳を塞ぐ事はできなかった。

部屋の隅に放り投げたビデオテープが頭の中で再生しはじめる。
そして、そこに収められていた映像や音声を利用して、啓介の瞳の奥、網膜に投影されるように隣の部屋の映像が浮かび上がった。

涼介が深夜までパソコンのキーボードを叩いたり、分厚い本を何冊も広げていたり、時に考え込むように頬杖をついている大きな机。
今はそこに拓海が突っ伏している。
だらしなく開いた口元からはヨダレが垂れて、机の天板に零れている。上半身は服を着たまま。さっき、リビングで見た何かロゴが入ったTシャツ。そして、下半身の少し色落ちしたジーンズと下着は膝ぐらいのところで辛うじて引っかかっている。
むき出しの臀部に触れるのは涼介の部屋の空気と、ズボンの前たてを寛がせその部分のみ剥き出しになった涼介の皮膚。

「………うぁ…」

涼介が触れ合った皮膚を眼一杯擦り合わせるように、昂ぶったペニスを最奥まで差し込めば、彩を含む呻きが漏れる。
涼介は、拓海の細くて白い腰をぎゅうと両手で掴んで、一番奥まで差し込んだペニスを今度は抜け落ちるぎりぎりまで引く。ずるずるとローションを纏った涼介のペニスが、まるで2人を繋ぐ太いボルトのように姿を現した。
自分の中で大きな体積を占めていたものが徐々に失われていくの引き止めるように、拓海は突っ伏していた顔を上げ、涼介を振り仰いだ。頬は桜色に上気して、胸元までその赤みは広がっている。
何も掴むところの無い待っ平らな机の天板にやんわりと爪を立てる。

「…りょう、すけ……さ…ん」

触れて欲しいと体を摺り寄せる猫のように、淫らに潤んだ瞳で見上げた。
それを聞いて満足げに唇の端を吊り上げた涼介は、また、拓海の中にずぶずぶと侵入していく。そして、グラインドを始める。かたかたと机が壁にぶつかる。机の上の筆記用具が揺れる。拓海は息も絶え絶えに声を殺して喘ぐ。

「声を、出すなよ…啓介に聞こえるぞ……?」

涼介が拓海の背中に覆いかぶさり、耳元で囁く。

「…そんな事言ったって……あ…」

涼介の手がTシャツの生地の上から拓海の胸の飾りをきゅっと摘んだ。
コリコリと執拗に摘んだり転がしたりする涼介の細くて長い指。拓海は眼を細めて悦び、下唇を噛んだ。

「やだ…だめ…声が、でちゃう…そこは、や…」

拓海は身を捩って、小さな声で訴えた。

「そうか…ここは、ダメなんだな?じゃぁ…」

腰を動かしながらいやらしい水音を立て、そして淫靡な笑みを湛えた涼介は拓海の乳首から手を離した。そして今度はその手は拓海の下腹部で露を垂らしながら震えるペニスを包んだ。

「ココならいいだろう…?」

拓海の口から声にならない小さな悲鳴が漏れた。それは悦びの声。
涼介は拓海を突き刺した自分のペニスで揺らし、それと同じリズムで自分の手を上下に動かし、前と後ろから同じように刺激を与える。
拓海はもう声も出せない。まつわるように机にしがみ付いているのがやっとの状態だ。膝もガクガク震えて、机にしがみ付いていなかったらおそらく立っている事もままならないだろう。


涼介は発情した雄の獣のように拓海の細い背中に覆いかぶさって腰を振り、その手を拓海の下腹部に回してぎゅっぎゅっと拓海の無垢なペニスを扱く。

「拓海、そんなに締め上げるなよ…。…まだだ。まだ達くなよ…」

拓海の耳元に唇を寄せ、うっすらと汗をかいた涼介の横顔は女に覆いかぶさっているのと寸分も違わない。
切なげに眉根を寄せながら涼介は机を揺らして、拓海を揺らして、烈しく腰を振る。カタカタと箱に入ったカスタネットが擦れるような音がする。

「…あ………もう…だ…め…」

拓海の眼からは涙が零れている。涼介は首を伸ばして、涙が零れた頬にキスを一つ落とした。荒々しい行為とは正反対の優しいキス。

「いいよ……もう…」

その言葉を聞くと同時に、拓海は「…あ!」と悲鳴を上げて、膝を震わせ、唇を震わせた。
机の天板に立てていた爪が、ぎぎと音を立てる。ずっと噛み締めていた唇は、血液の色のように鮮やかな紅だった。



啓介は壁に耳を当てたまま、知らず知らずのうちに自分のペニスを握っていた。
そして、下着の中に広がる生暖かかくどろりしとした感触に我に返る。壁からはまだカタカタと乾いた音がしていた。

俺……。
烈しい後悔と羞恥の念が湧き上がって、啓介は汚してしまった下着を取り替えるとベッドにもぐりこみ、布団を頭まで被った。
汚れた下着はゴミ箱へ放り込んだ。

誰かに、自分も同じようにゴミ箱へと投げ入れて欲しいと思いながら、啓介は眠れない眼を力任せにぎゅっと閉じた。



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