夜の果て -8-



白いセダンは意図的にそこに停められていたようだった。
奥へ続く道と指し示す看板を隠すような場所に。

嫌な予感がした。

啓介がちらと見やったFDの中には、喧嘩の足しになるような道具は何も無い。誰に助けを求める事もできないと思った。警察なんてもっての他だ。
しかし、警察や助けを呼ぼうにもここら辺は携帯電話が通じない。他のところは大体通じるのだが、ここだけは切り立った崖に遮られて電波が届かない。
啓介は意を決して、展望台へと続く暗く細い道を歩き出した。

細く、人一人が通れるくらいの真っ暗な道はやがて、階段状になってきた。
展望台というくらいだからもっと登るのだろう。うっそうと茂った木々が月の光を遮って、足元すらよく見えない。丸太が並んだような階段を、啓介は足音を控えるように静かに一段ずつ登った。

もう駐車場からはかなり離れてしまった。そして漏れ聞こえる音がだんだん大きくなる。確実に近づいている、と思った。

やがて、階段を登りきると視界が開けた。木がそこだけ避けて生えているように見える。その木々の裂け目から、黒に近い蒼い色をした空が見えた。
思い出した…ここには以前、来たとこがある。

啓介がまだ小学生位の頃だった。
ちょうど今ぐらいの春が終わろうとしている季節に、啓介は何を思ったのか「花火が見たい」と駄々をこね始めた。おそらく、テレビか何かで見たのだろう。しかし、こんな時期に花火を売っている店も無く、夜中に近いような時間帯で母親は途方にくれた。
涼介と違って、啓介は言い出したらきかない。きっと朝まで泣き喚くのだろうと母親は溜息をついていた。
その時、涼介が母親に言ったのだ、あそこに行こうと。そして連れられてきたのがここだった。
細く暗い道を母親と涼介とに手を引かれて懸命に登った記憶がある。
頂上には小さな東屋があって、眼下に遠く夜景が広がる。「ほら、啓介。花火みたいで綺麗ね。」と母が、「花火よりこっちのほうがずっときれいだよ。」と涼介が言った。そして啓介は、しゃくりあげながら黒い画用紙に色とりどりのビーズをぶちまけたような、自分達が住む町の夜景を見ていた。
その後、母は病院へと戻っていった。確か当直の当番だった。
啓介も涼介も小さい頃から親がいない事には慣れっこだった。朝になれば家政婦さんがやってくる。啓介は心もとなくて涼介と一緒にベッドで眠りについた。「大きくなったら、また一緒に見に行こうな。」そう言って涼介は眠りにつくまで啓介の頭を撫でてくれていた。

あの時見た花火の火の粉のような夜景を、啓介ははっきりと思い出していた。


「…ヤダ!…止めて、くださ……!」

途切れ途切れに聞こえていた声は、もう至近距離から聞こえるようになった。
抑止を訴える、拓海の声。涼介の声は―聞こえない。
拓海の声の合間に、人が動く音や人の気配がした。拓海がそこにいるであろうことはもはや疑いようも無い。

啓介は近くの大きな杉の木に隠れるように身を潜め、息を呑んでその光景を見た。

眼下に広がる夜景は子供の頃見たのと変わっていなかった。しかし、自分が大きく成長したせいで今は東屋が小さく見える。

東屋には木でできたベンチが2つあり、それが屋根で覆われている。
そのベンチの周りに、3人の男が立っていた。
ベンチの上にある何かを取り囲むように、壁のように並んで立って見下ろしていた。何かを。
男達の足の間から、何か白く長いものがチラチラと見え隠れする。
そして、拓海の声がする。

「……ううっ…イヤ…だ…」

白くて長いものは……むき出しの拓海の足だった。
四つんばいにされた拓海に覆いかぶさっているのは知らない男。
それを見下ろす男達は、拓海を逃がさないように囲っている壁のように見えた。

輪姦されているのだと、啓介は思った。体中の血液が沸騰する。身の毛がよだち、鳥肌が立つ。

「もう……許して、くださ…い……」

啓介は拳を握り締めた。
血液が沸騰したふつふつという音が聞こえるようだ。頭に血が上る。こめかみが脈打つ。

拓海を犯している男も含めて、合計4人。素手で戦って勝てるかどうかは分からなかった。
中には自分と同じくらい背の高い男もいる。
だが幸い、近くにナイフなどの刃物は見当たらないし鉄パイプや金属バットのようなものも無い。

耳を澄ませると、四つんばいにされた拓海の膝が木のベンチにこすれるゴリゴリと言う音が聞こえるような気もする。

啓介は久しぶりに怪我をするかもしれないと、思った。
それでも、拓海がこれ以上傷つくよりは自分の拳が傷ついた方がずっとましだと思った。
拳が傷付けば、しばらくステアリングを握れなくなるかもしれない。
しかも傷だけですめばいいが、もしかしたらもう今ほど上手くFDを操れなくなるかもしれない。
もう、拓海と一緒に広い世界を目指すことができなくなるかもしれない。

男達の間から、大きく股を開かされた拓海の足が揺れているのが見える。

啓介はぎり、と奥歯をかんだ。頬の内側の粘膜を巻き込んで噛みしめると、口の中に鉄の味が広がる。
喧嘩を始める前は、いつもそうしていた。
自分で傷つけて、自分の血を舐める。錆びた鉄のようなぴりぴりとした血液の味を感じる。
そうすれば、誰かの拳で口を切って大量に出血したとしても、最初からその血液は流れていたのだと自分を思い込ませることができる。
自分がやられたと思ったが最後、負けるのだ。
啓介はぺろりと舌なめずりして、久しぶりに自分の血液の味を確かめた。

そして、1歩踏み出した。啓介の足に踏みつけられた小枝が、ぱき、と音を立てて折れた。

何かが啓介の足を止めた。
地面から触手か何かが伸びてきて啓介の足に絡みついたように、足が動かない。


どうして……?どうして、そこに…?


自分と同じくらい背の高い男の横顔は、自分の兄、涼介の横顔だった。
今、自分の口の中に流れる血液と同じ血を分けた兄。

そして、知らない男に犯されながら顔を上げた拓海は、腕組みをして見下ろしている涼介をうっとりと見上げた。

「……あ…あ……い、や…りょうすけ…さ…」

暗闇に慣れた目には、冷ややかな月明かりだけで十分細部まで見て取れた。
ろれつの回らない口で涼介を呼ぶ拓海の上気した顔は、ひどく悦んでいるように見えた。


啓介は、血の味がする唾液をごくりと飲み込んだ。


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